こんにちは。良い話が聞けていつもよりエネルギッシュな越智です。
12月2日、チャレンジド・アソウ新大阪事業所で講演会が開催されました。
この講演会は2部制になっており、1部は障害者アスリートの小西恵子選手の「挑戦って楽しい」、2部はチャレンジド・アソウの元訓練生の方による就職事例の発表がありました。
今回は1部のレポート記事です!
(この日、講演されたシーズアスリートの小西恵子選手)
小西恵子さんは、車いすスポーツを始めて10~11年目。目標は憧れでもあるパラリンピックの出場だそうです。
「現実はまだ一度も出場していませんが、東京パラリンピックもあきらめていません。」
障害を負ってなお、前向きでいることで思ってもいなかった世界選手権の出場まで上り詰めた小西選手。数々の挫折を乗り越えながら、パラリンピックをめざします。
「(障害があるから)難しい、避けたい」ということにも残された部位を最大限に活かしてチャレンジする、それが周りの人にも魅力的に映っていたとのこと。
活動はスポーツにとどまらず、社会に貢献することにも力をいれています。それはスポーツ選手として会社に属し、大会などの活動結果を記した冊子などを発行して障害者スポーツの競技を世に広く知ってもらうことが目的だそうです。
冊子の内容は、車いすでも手が使えれば文章を入力したり、目が見えていなくてもマッサージ技術で他の選手のサポートをすることができるというように障害があっても活躍の場があるという広報活動の仕事です。
会社員としても、スポーツ選手としても活動的な小西選手ですが学生生活ではどうしても目立ってしまう車いすが重荷に感じていた時もあったそうです。
そこで始めた車いすテニスの練習場で、障害があっても自分でできることは何でもする光景に刺激を受け自身の行動の幅を広げられたといいます。
しかしテニスをしていた頃に、褥瘡(床ずれで部位が壊死すること)になり数回の手術を受けることに。弱気になって「テニスも仕事も辞めよう」と落ち込んだ時期もあったそうです。
そんな時は会社の人からの励ましや、ドクターや夫の言葉で「アスリートにケガはつきもの。」と捉え方を変えて治療に専念することにしたそうです。
回復後は陸上アスリートに出会い転身。現在は障害者陸上選手として、パラリンピックを目指されています。
(競技用の車いすも展示。競技では50~60キロでコースを駆け抜ける)
競技で勝つための創意工夫、練習量、周りの人への感謝の気持ちと、夢、誰もが悲しいことや苦しいことを経て、活躍の場に立っていくのだと感じられました。
小西恵子選手、この度はありがとうございました!
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